ラブ・ストーリーは突然に

 

 これは患者5213号の初入院の模様である。名前はデヴィッド・ルーリー。39歳の広告コピーライターで既婚者、子どもが2人いる。頭の中で声が聞こえるという。

 精神科医が受理面接で導入質問を始める。あなたの名前は? あなたな今どこにいますか? 今日の日付は? 現在の大統領は?

 どの質問にも正しく答えた。デヴィッド・ルーリー。ペンシルヴェニア州ハヴァフォード州立病院。196926日。リチャード・ニクソン

 そこで精神科医は声について尋ねる。

 その声は、「空っぽだ。中身が何もない。空虚だ。ドスンという音をたてている」と言うんです、と患者は答えた。……

 精神科医は彼を分裂情動型精神分裂病と診断した。

 しかしそこには問題があった。デヴィッド・ルーリーは頭の中で声など聞いていない。広告コピーライターでもないし、ルーリーという名字でもない。じつはデヴィッド・ルーリーという人物は存在しないのだ。……

 実在しない「デヴィッド・ルーリー」とは、今回の件で調査を進めるうちに、じつは偽患者だったことを、わたしは知ることになる。はたして医師や医療スタッフが精神病患者とそうでない人を区別できるのかどうか直接確かめるために、約50年前、精神科施設にみずから入院した8人の健常者のうちの最初の1人なのである。その8人は、1973年に精神医学会に衝撃をあたえ、アメリカの精神医療に対する人々の理解を根底から覆すことになった、有名かつ画期的な科学研究の協力者だった。「狂気の場所で正気でいること」という題名で発表された論文は、精神医学を抜本的に変革し、精神病の正規治療についてはもとより、「精神病」という含みのある言葉をどう規定し、どう使うのかということについても、議論を巻き起こした。

 まったく別の理由で、そしてまったく別の形で、「デヴィッド・ルーリー」とわたしは似た役割を果たした。正気の世界と精神病の世界のあいだの使節となり、人々にその境界を、何が本当でなにがそうでないかを理解してもらうための橋渡し役となったのだ。

 

 精神病患者になりすましての潜入リポートというだけならば、本書でも引かれる通り、既にそのアプローチは数多の蓄積を重ねていた。この方法を虚言というカテゴリーに強引に押し込んでしまえば、ミュンヒハウゼン症候群はとうにその呼び名を与えられてもいた。

 しかし「狂気の場所で正気でいること」は、それら先行研究とは明らかに一線を画していた。というのも、あの『サイエンス』の査読を潜り抜けた、というお墨付きが与えられていたのだから。ましてや発表したのはデヴィッド・ローゼンハン、名門スタンフォード大学の心理学者、「厳密性、サンプルの多さや範囲の広さ、幅広い研究内容という点で傑出しており、世間の注目度も高く、発表の場もタイミングも的確だった」。この論文は、単にその経験談がセンセーショナルであったというに留まらないものだった。平均的な入院期間はもちろんのこと、薬の処方量から医師との面接頻度、看護師や助手のフロア滞在時間に至るまでが定量化されたその説得力は他を圧倒せずにいなかった。

 この現象は、単に一時的なフィーヴァーを誘ったに収まらぬ余波を招いた。同時代のとある研究によれば、「同じ患者を診たとき、精神科医の診断が一致する確率はわずか54パーセント」、この恣意性極まる判定の一致率を上げるために開発された規準がいわゆるDSM、その策定にローゼンハンの論文は大いなる後押しを与えたともされる。瞬く間にスターダムにのし上がった彼はメディアに登場しては舌鋒鋭く既存のシステムへの批判を繰り出し、世論は熱狂をもって応え、多くの州では精神科の予算削減が図られることともなった。

 紛れもなく、たかが一本の論文が世界を動かした、いや、動かしてしまった。

 

 しかし半世紀を経て、改めて筆者が調査報道の対象として取り上げる。

 その契機は、ごくパーソナルな経験だった。ある時から「たしかにわたしは暴力的だったし、パラノイアだったし、妄想もあったかもしれない」。精神科へと送られると「まず双極性障害の可能性が取り沙汰され、わたしの精神病症状がますます強まると、統合失調感情障害が有望視された」。ところが、のちにそれらはすべて自己免疫性脳炎の産物であることが判明する。髄液検査をはじめとする神経科学がその原因を導き出し、彼女を完治へと誘った。

 50年前の水準をもってしてはあるいは彼女が救われることはなかったかもしれない。対して彼女がまず送り込まれた精神科医は的外れな診断に基づいて無益な投薬を促すのがせいぜいだった、まるで医学の発展からぽつんと取り残されているかのように。

 そんなサヴァイヴァーである筆者にとって、「狂気の場所で正気でいること」は格好のマイルストーンだった。

 クリティークを重ねてみれば、何のことはない、この研究はひどくエビデンスに乏しいものだった。

 なにせまずなりすました8人の偽名患者の正体を特定することさえもままならない。それは厳重にプライヴァシーが配慮された結果ではない、単にマザーデータの何もかもがお粗末だったというに過ぎない。

 もっとも、ここでそのいちいちの粗雑を引用してあげつらうつもりはない。そのディテールはあくまで本書に委ねられるべき事柄であるし、それ以上に、このノンフィクションを物語として捉えるときにより興味深いトピックを取り逃してしまうことになるから、つまりは、デヴィッド・ローゼンハンその人をめぐっての。

 彼が偽患者を送り出すにあたってのガイドラインに従えば、「ドスンという音」、「空っぽだ」、「空虚だ」をひたすら面談した医師に向けて伝えることで、果たして彼らがフェイクを見破れるのかをテストするというのがその試みの趣旨だった。

 ところが「デヴィッド・ルーリー」ことローゼンハン自身が、はなはだしくこのルールから逸脱していたことが残されていたカルテによって発覚する。その記録によれば、「銅鍋で耳を覆ってそれ[幻聴]を遮断しようとした。……自分などいないほうがみんなは幸せなんだと思い、自殺を考えている」。

 どうしても入院して実態を把握しなければならないという使命感が誇大な噓に走らせた、その可能性も大いにある。希死念慮は入院措置を正当化するには十二分の機能を果たしたことだろう。しかし、読者はここでもうひとつのifに想像を向けずにはいられない、つまり彼は実際に自分に起きていた通りを医師に向けて告げていたのではないか、と。退院してきた彼の様子を当時学生だった者が証言するには、「疲労困憊し、物思いに沈み、以前より老けて見えた」、病棟内で壊されたのか、それともはじめから壊れていたのか。

 少なくとも並べられるファクトがある。

「狂気の場所で正気でいること」は、たった9ぺージのいわばダイジェストに過ぎない。それをより具体的に膨らませたテキストの構想がありながらも、ついに彼はそれを書き上げることがなかった、契約不履行を理由に出版元から訴訟まで起こされもしたのに、である。

 反精神医学のアイコンとして時代の寵児たることもできただろう。しかし彼はいつしかそうした立場からはすっかり足を洗い、さりとて他に何らかの新たな対象への没入を示すこともなく、その研究者生命を閉じた。

 情熱に燃える在りし日のカリスマはすっかりなりを潜めた。彼の中で何かが尽きた。罪悪感がそうさせたのか、あるいは――

 自らにとっての喫緊のテーマを対象化する、それはあたかも筆者がそうしたように。

 そんなシンクロニシティが本書を生んだ、少なくとも私にはそう思えてならない。

 

 論文のサンプルからは除外された、幻の9人目に筆者はたどり着く。ローゼンハンが記すところでは、実験にあたって定めた基準を違反したが故に彼の存在は――ひどく不完全なかたちで――消去された。

 確かに、ものの15分程度のレクチャーで仕込まれた取り決めを彼が破ったのは紛れもない事実だった。というのも、当時大学院生だった彼は、真摯に向き合ってくれる医師たちを前にその胸中をありのままに吐き出さずにはいられなくなってしまったのだから。「アパートの部屋に閉じこもってテレビを観るわびしさ、終わりのない勉強、競争の厳しい大学の雰囲気、親しい友人がいないこと。自分には価値がない、自信がない」と。

 その場で彼は入院を許された。病棟はまるで「ヒッピーの愛の集会の真っただ中」のようで、「つらい思いをしてきた人たちの一種のコミュニティだった」。グループセラピーでは「みんな、たがいを思いやっていたんだ」。何もかもが、スタンフォードとは対照的だった。

 当時の日記に彼は書かずにはいられなかった。

「きっとあの場所が恋しくなる、必ず」。

 

 もしローゼンハンがその日、「あの場所」を引き当てることができたとしたら――たぶん何も起きなかった。すべてレセプターを携えぬ者に届き得るメッセージなど何もない。

 

 そして筆者は現代の精神科に「恋しくなる」ような「あの場所」を見出す。もっとも、その秘訣は50年前と何も変わってはいなかった。つまり、「患者を人として扱う、それだけのことなのだ」。

「すぐれた精神医学にはどんな医学でも必要なこと――人間性、技術、人の話を聞くこと、共感――がさらに必要となり、劣悪な精神医学は恐怖や独断、傲慢さで患者を押さえつける」。

 ミイラ取りはやがてミイラになった。精神医学が「患者」に貼りつけるスティグマを糾弾したローゼンハンは、精神医学に自らが与えたスティグマを逃れることができず、ゆえにこの9人目の報告を黙殺した。彼こそが「恐怖や独断、傲慢さ」に蝕まれていた。

 そうして綴られた「狂気の場所で正気でいること」が何をもたらしたか。

 包摂から排除へ、その時代の潮流に見事に乗った、乗ってしまった。そうして出来上がったリソースの逆分配が進行した社会において、適切な医療を受けさえすればあるいは無害でいられたかもしれない人々が、次から次へと刑務所へと送り込まれることとなった。施設内で何かしらのケアが与えられることもなければ、それどころか社会から隔離されることでより症状は悪化するばかり、厳罰化とやらに再犯のブースターという以上の機能などありやしない。紛れもなくローゼンハンはその愚かな神輿を担いだ大衆という名の狂人たちの一味だった。

 身から錆は出ても、瓢箪から駒は出ない。「創造的思考」の使い手である彼にもし「どんな医学でも必要なこと」がひとかけらでも備わっていたならば――結局、嘘から真など出やしない。

 

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