死せる魂

 

 2022223日午後97分、長年のロシアの取材先であるXからメッセージが入った。

「おそらく今晩だ」

 私はあわてて返信した。

――全面侵攻か?

「そうだ。部分的な侵攻には意味がない。狙いは(ヴォロディムィル・)ゼレンスキー政権を転覆させ、ロシアに忠実な傀儡政権を樹立することだ。外交チャネルはすべて打ち切られた」

――キーウ(ウクライナの首都)は包囲戦か。

3~4日で首都を包囲し、内からも破壊工作を仕掛けて降伏を迫るだろう。都市の空爆や戦車による市街戦は想定されていない。精度の高い巡航ミサイルによる軍施設やインフラに的を絞った攻撃になるはずだ……シリアで使った手と同じだ。市街戦を避け、都市の区画ごとに落としていく」

 Xは続けて私に聞いてきた。

「私はキエフ(キーウ)には詳しい。いまどこにいる?」

 中心部のアパートの場所を告げると、すぐに返信があった。

「そこはまずい。近くに(攻撃対象となりえる)SBUウクライナの情報機関)の拠点がある……とにかく外出は避けろ」

――妻の母親が左岸(首都を流れるドニプロ川の東側)に住んでいるのだが……。

「集合住宅街の左岸は標的ではないからミサイルの危険性は低い。しかし、橋が破壊されれば、(安全な西に)脱出できなくなるぞ」

 Xはこう結んだ。

「早く家族を説得して、脱出しろ」

 

 そう、このテキストは、半ばアウトサイダーとも呼べる一介の日本人記者による現地潜入ルポとは、いささか様子が違う。ウクライナ人の配偶者を持ち現地に拠点を置く筆者が、実際に見聞きしたことを文字にする。

 日本の報道機関がどう伝えてきたかはともかく、ロシアによる侵攻とて2022年に唐突にはじまったわけではない。その源流は、クリミア占領やソ連の解体、さらにはホロモドール[スターリンによる餓死政策]よりはるか遡り、あるいは東スラヴ民族国家のルーツとしての9世紀キーウ公国に端を発しているのかもしれない。

帝政ロシアの時代から作り上げてきたキーウ公国の神話、正教会、そしてロシア語のつながりを強調し、欧米の価値観とは異なる『ロシア世界』という考えを押し出してきたプーチンにとって、ウクライナは『聖地』なのだ。その『聖地』で民主化が進み、ヨーロッパへの統合に向かえば、権威は失墜する。70歳になるプーチンがロシアの偉大な指導者としての『レガシー』を意識していても不思議ではない」。

 もっとも、当の「聖地」の住民たちは、攻撃に備えた包囲網が着々と形成されていく最中にあってすら、その事実から目を背けているように、少なくとも筆者には映った。侵攻直前の1月、とある雑誌にこう寄稿していた。

「自ら情勢を判断し、首都から西に退避したり、『最悪の事態』に備えたりする人は少数派だろう。多くは侵攻の脅威から目を背け、思考停止に陥っているような印象がある。逃げる場所も資金もないという市民が大半を占める現実もある」。

 いざことが起きてしまえばパニックに慌てふためいて、ロシアにあっという間に飲み込まれてしまうだろう、この記事から滲む諦念は、しかしながら全くの杞憂だった。現地人記者は自負をこめて語る。

「欧米は、水平に広がるウクライナ社会を理解できないかもしれない。それまで無秩序のようであっても、いったん脅威に直面すれば、それぞれが自主的に自分の役割を果たすんだ。それに我々は自由のためには自己犠牲はいとわない。大きな敵に圧力を掛けられるほど、民は激しく抵抗するのだ。それがウクライナの伝統だから」。

 このウクライナウクライナたる所以を最も典型的に表す存在が、ごく身近にいた。「ママ」こと筆者の義母だった。西部への一時避難を促す筆者の説得に耳を傾けることなく、首都キーウの自宅に留まることを彼女は選んだ。ロシアの冷血非情を侮っていたわけではない。無力感に蝕まれていたわけでもない。危機に瀕してすら、土地への愛着が「ママ」にそうさせた。

 筆者は彼女との初対面のときのことを思い出す。

04年のオレンジ革命の最中だった。その時、彼女は自分の胸に付けていたオレンジ色のバッジを外して私にくれた。ウクライナ語でこう書かれていた。

『自由は決して奪うことはできない』」。

 

 一度はロシアに占拠されたブチャに建つ、一軒の民家を訪れる。

「家の室内を覗くと、家財が荒らされ、何もかもひっくり返されたままになっていた。

『妻と娘の宝石類に現金、それにテレビなんかも盗まれた』

 そしてヴォロディムィル[家の所有者の名前]がサウナ室の扉を開けると、血痕らしきものが目に入ってきた。

『ここで女性が暴行され、拷問されたんだ』

『どうして分かるんですか』と問うと、庭先の地下の貯蔵庫に案内された。

 深さ3メートル、3畳ほどの地下室の中をのぞき込むと、血に染まったシーツなどが目に飛び込んできた。異様な空気が立ち込めていて、背筋がぞくりとした。

『戻った日にここで女性の遺体を見つけたんだ。全裸で、ナイフで切り刻まれていて、頭を撃ち抜かれていた。腐敗もひどかったよ。膝ががくがくして、震えが止まらなかった』」。

 殺人、レイプ、拷問、窃盗……モラルの退廃を極めたロシア兵の痕跡を辿るその一方で、したたかに、「自由」に生き抜くウクライナ人たちのその姿を筆者が同時に伝える。

「ロシアの侵攻直後から、ソーシャルメディアは敵をコケにするジョークで溢れ、カフェでもどこでも人が集まるところは笑いが絶えない。そして、みな勝利を信じている」。

 そんなスタンダップ・コメディの現場で同行者は筆者に向けてささやいた。

「笑いがなくなったら、それこそ負けでしょ」。

 すべてユーモアは悲惨な現実を直視するためにこそある。

 

 その解釈をめぐっては諸説あるようだが、有力な見解に従えば、ウクライナの国旗は雄大なる青い空と豊饒に実る金の麦畑をもって構成される。

 人はパンのみにて生きるにあらず、とは言うけれど。とある農業経営者が誇らしげに語ることには、「ウクライナ人のパンへの思い入れはDNAといってもいい」。

 ある女性は証言する。「占領下の生活はとても恐ろしくてつらかった。ここで焼きたてのパンのにおいをかいだ時、本当に生き返ったの」。

 たかがパン、されどパン、そこからは豊かな大地に育まれた、自由の味がほとばしる。

 ただ単にカロリーを満たすだけでない、噛み締めるそのうまみこそが日々を生きる糧となる。

 少しでもまともなマインドがあるならば、欲しがりません勝つまでは、などと決して誓ったりしない。

 

 現地で深めた見聞を本邦の大学で講義する。もっともその反応は芳しいものではないという。

「ロシアはひどいが、戦意むき出しのウクライナにも問題があるのではないか」、そんな質問を投げかけられることもしばしば、何もかもがウクライナの自作自演だというフェイクニュースを恥ずかしげもなく披瀝されることすらある。

「『日本が侵略を受けたらどうするか』と投げかけると、学生の大半は『逃げる』と答えた。かくいう私も侵攻前に妻から『これが日本だったら』と問われ、逃げると即答している。おそらく多くの日本人がそうかもしれない。

アメリカが衰退するのであれば、日本は(平和を維持するために)中国やロシアと同盟を結ぶべきです』という意見も出た。この学生は勢力の均衡を重視する国際政治学のいわゆる『リアリズム(現実主義)』の立場に立っていた。

『その場合、この大学の講義は英語から中国語になるのでは』と、私が切り返すと、教室は静まりかえっていた。

 地政学や現実主義といった国際政治論からだけ語り、そこに生きる民を無視する机上の議論は虚しい。ロシアが短期間に勝利し、ウクライナを支配するとの大方の予想を覆したのは、自由を守る民の決意と抵抗であることを、まず知ってほしい。『民主主義の後退』といわれるが、自由や民主主義、人権を求める人々の思いは世界で衰えていない。軍によるクーデターが起きたミャンマーなど、アジアでもそうだ。ウクライナはその戦いの最前線に立っている」。

 ハルキウに暮らす男性は、ウクライナからロシア、ラトビアポーランドを経て再び母国へと戻る、愛車でのその逃避生活の中で確信する。

ウクライナの方がロシアよりずっと良いと実感した。それをロシアの人々の表情や街の空気、生活レベルを見て再認識したよ。バルト諸国やポーランドには劣るかもしれないけど、ウクライナにも自由はある。『ロシア世界』なんて冗談じゃない」。

 たぶんこの戦争は、ロシアが自由の味を知ることでしか終わらない。冷笑主義帝国主義の「麻薬」からロシアの民が立ち上がることでしか終わらない。

 

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