7 Days to End with You

 

 最初のうち、ロゼッタストーンは二週間もあれば解読できると考えられた。ところが実際には「二十年」かかっている。……

 結論からいえば、この謎の解明は、ライバル関係にあったフランス人とイギリス人、ふたりの天才によってほぼ達成された。どちらも幼いときから神童と呼ばれ、各種言語に尋常ならざる才能を発揮していたが、それ以外の点では、ふたりはまったく両極の人物だった。イギリス人であるトマス・ヤングは世に稀に見る多芸多才の天才。フランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンはエジプトを偏愛する一点集中型の天才で、ただひたすらエジプトに熱中した。クールで洗練されたヤング。熱血漢で激しやすいシャンポリオン。ヤングはエジプトの「迷信」や「堕落」をあざ笑い、シャンポリオンは古代世界最強といっていい帝国の威光に驚嘆するばかりだった。

 知の世界において、これほどまでに熾烈な戦いはまずない。両者の頭にあるのは、相手をしのぐことばかりではない。歴史上頻繁にぶつかってきたイギリスとフランス、それぞれの母国の威信もかけた戦いだった。エジプトの神秘は超一級のもので、その文字を解読できれば、千年以上にもわたって世界を愚弄してきた大きな謎が解けるのである。

 

 ロゼッタストーンの発見に世界が沸き上がったのには理由がある。

 それまでにもヒエログリフが刻まれた壁面やプレートならば、散々目にしてきた。しかしそれだけでは何の糸口もつかめない、それは例えば今日において未知の言語を提示されても、それが果たして左から読まれるべきか右から読まれるべきかなのかすらも掴めないまま、まさしく右往左往する他ないように。当然に、現地民の伝承など途絶えて久しい。

 そんな中で、「ロゼッタストーンには、ヒエログリフ、デモティック(速記用の文字体系)、ギリシャ文字と三種の文字が刻まれている……現代にざっと置き換えれば、あるメッセージをエレガントな飾り文字で数行綴ったのち、速記用の文字でさらさら走り書きし、最後に言語をギリシャ語に切り替え、同じメッセージをギリシャ文字で綴ったという感じである」。

 石板そのものが欠損しているという難点こそ抱えてはいるが、文法規則すらも杳として掴めていなかったそれまでの迷走期とは違う、逐語訳的に仕事を進めることができる、これによってヒエログリフの謎は一気に解ける、そう活気づいたのも無理はない。

 だが、当時の第一線の言語学者たちが蹉跌を味わうのにそう時間はかからなかった。ある研究者が着目したのはその文字数だった。奇しくもギリシャ文字とデモティックを比べると、両者がほぼ一致したというのがその根拠だった。彼はアルファベットと同様の表音文字の体系をデモティックに重ねようとして、そして間もなく頓挫した。後続もことごとくがこの初動捜査の方向性を踏襲した結果、袋小路に誘われる羽目となった。

 ブレイクスルーは、畑違いの門外漢の登場を待たねばならなかった。

 

 もっとも、その彼、トマス・ヤングを軽々しく門外漢と呼んでよいものか、いささかの躊躇を禁じ得ない。というのも、ルネ・デカルトブレーズ・パスカルゴットフリート・ライプニッツ……ありとあらゆるジャンルに顔を出し、そのことごとくにおいて先駆的な成果を収めてしまう、天才としか評しようのない何か、ヤングもまた、アリストテレス以来のこの系譜に本来ならば名を連ね、今日に広く語り継がれていなければならない、驚愕の逸材なのだから。

 専ら医師としての教育を授かりながらも、物理の世界において、光が粒子でもあり波でもあるということを証明してみたり、人間の色覚をめぐり後にヤング=ヘルムホルツの三色説と称される仮説を提唱してみたり、科学のワードにエネルギーなる語を持ち込んでみたり……と功績には事欠かず、そのあり余る知的好奇心をたまさか目に留まったロゼッタストーンにも向けてみたら、ここでもまた、とんでもないことになってしまった、というお話。

 とはいえ、ロゼッタストーンは歴史的巨人をも惑わせた。程なく解ける、そう友人に書き送ったはずが、そこから月日は数ヵ月、数年と流れていった。しかしこの人物、まさに天才の天才たる所以、瞬時のひらめきに身を委ねるばかりではなく、根気強さも兼ね備えていた。そうして脳内に刷り込んでいったパターン認識がやがて大輪の花を咲かせる。

 

 イギリスのヤングがいわば0から1をもたらしたのだとすれば、フランスのシャンポリオン1100にまで進めた。

 ヤングが最終的に匙を投げたのは、原テキストそのものが誤写まみれという根源的な欠陥ゆえのことだった。ニュートン以来の実験科学に浸った彼にしてみれば、マザーデータそのものが当てにできない業界というのは、そもそもにおいて耐えられる代物ではなかった。

 それに比して、幸か不幸か、シャンポリオンには古代エジプトへの熱情しかなかった。最初の論文は16歳、テーマは地名をめぐるもの。18の頃にはコプト語に没入、古代エジプト語の正当な末裔という説を愚直に信じた結果だった。

 まさか当時の彼には知る由もない、このコプト語こそがヒエログリフ解読の鍵を握っていようとは。

 

 大陸をまたいで、恋焦がれた大地をシャンポリオンが踏みしめたのは、37歳のときだった。

 そして彼は、「考古学史上最大といわれる非凡な発見をする」。神殿の壁面に刻まれた文字を解せる彼だからこそなし得た「発見」だった。

 その「発見」とはつまり、「エジプトにも女性の支配者がいた」。性差にとりわけセンシティヴな言語特性を掌握していた彼によってはじめて「発見」は可能となった。

 だがしかし、その女王陛下、ハトシェプストの存在が明らかになるには、それから1世紀を待たねばならなかった。なぜにそれほどまでに難航していたのか、あらゆる記録から抹消されていたからに他ならない。彫像はことごとくが叩き割られ葬られていた。

 もっとも偶像破壊に勤しむ末端の彼らには、識字が授けられていなかったものと見える、銘文はしばしば彼らのずさんなチェックをすり抜けて、土に埋もれ、砂に沈み、発掘のその時のため長き眠りに就いた。

 頭隠して尻隠さず。

 歴史修正主義者の作法は、いつも似ている。

 こんな下らないことを改めて確かめるために人類の英知が注がれたのだと考えると、少しと言わず虚しくもなる。

 

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