サバービアの憂鬱

 

 日本の歴史の中心には、有史以来現代に到るまで、1本の道が走っている。

「国道16号線」だ。

 東京の中心部からほぼ30キロ外側、東京湾をふちどるようにぐるりと回る、実延長326.2キロの環状道路である(法律上の起点・終点は横浜市西区)。

 三浦半島の付け根、神奈川県横須賀市走水から横浜まで東京湾の海辺を走ったのち、内陸部に向かう。東京都の町田、八王子、福生を抜けて、埼玉県の入間、狭山、川越、さいたま、春日部を過ぎ、千葉県の野田、柏、千葉、市原から再び東京湾岸に出る。木更津を越えて富津の岬に到着すれば、海を挟んでスタート地点の横須賀の街が見える。……

 16号線に歴史の重みを感じる者は少ないだろう。そんな道がなぜ日本の文明や文化の誕生に重要な役割を果たしてきた、といえるのか。

 実は、16号線の記された地図をさまざまな時代の歴史と重ね合わせてみると、興味深い事実が次々と浮かび上がってくる。この道沿いには、歴史上きわめて重要な、各時代の人々の営みの痕跡がはっきりと残されているのだ。……

 謎を解くカギは、「道」そのものではなく、道が走る「地形」のほうにある。

 16号線が貫いている地域の土地の形は、人々がわざわざ住み着きたくなる、「理想の地理的な条件」を備えているのだ。結果として、この地域では、日本の文明や文化のかたちを規定していく営みが積み重なり、その流れが1本の道になった。私はいつしかそう考えるようになった。

 

 まるでコンパスで描いたかのように、都心部から電車で1時間前後、これでもかとコテコテのベッドタウンを網羅する。そのラインナップを見れば、いかにも高度経済成長とモータリゼーションによって育まれた日本型郊外論の匂いしかしない。

 しかし筆者はあえてそうしたアプローチには与しない。なぜならば、その見立てはあまりに歴史のファクトと食い違っているから。この沿線から発掘された遺跡や貝塚は数知れず、昭和期のデヴェロッパーによる着眼を待つまでもなく、居住空間としての優位性は「山と谷と湿原と水辺」によって保証されていた。

 わけても文化的な土台を提供したのは、リアス式海岸がもたらした数多の「天然の良港」だった。

 戦前日本の基幹産業としての生糸、養蚕のメッカといえば、例えば「桑都」八王子であり、富岡製糸場だった。国道16号線という呼び名すら持たなかったこの日本版シルクロードは、これら聖地に端を発し、横浜の港を経由して、そして世界へと延びていった。戦後においても、この環状線に置かれた基地のことごとくが米軍によって接収された。こうして世界と繋がれるべくして繋がれた16号線に、文化を輸入する窓口としての役割が振られるのは必然だった。

 

 そうしてこの一本道の先に延びるアメリカから、改めてこの「地形」を逆照射してみる。

 戦後に固有の文脈としての発展史を16号線に重ね合わせるのは、なるほど無知の賜物かもしれない、しかしそれにもかかわらず、現在のこの沿線は紛れもなくステレオタイプ丸出しのロードサイドの光景を提供している。「道」は「地形」を上書きし、アメリカから輸入された概念としての郊外を、横浜を始点に見事に再生産してみせた。

 都市部の狭苦しい密集よりも、広い庭も確保できて緑にも恵まれた郊外の方がいいよね、と自動車に後押しされてサバーブを開拓していったアメリカでの社会実証実験の結果は既に出ている。壮大な失敗だった。集合住宅を抜け出して念願のマイホームを手にしたはずのクラフティ・ワイフたちに何が起きた、といって孤独によって精神を蝕まれただけだった。ドア・トゥ・ドアで目的地と目的地をスピーディに結ぶ自動車は、井戸端会議の場としてのストリートを彼女たちから奪い去った。彼女らにとっては、街行く名も知らぬ人々など監視すべき防犯の対象としか映らない。個人商店は車窓からはその存在すらも認知されぬまま、言い換えればマクドナルドやセブンイレブンのようにアイキャッチな=グロテスクなディスプレイでホームタウンの街並みを汚すことなく、ひっそりと退場を余儀なくされた。かつてならば毎週のように通っていただろう社交場としての教会も新天地にはない。アルコールやドラッグに依存するか、新興宗教につけ込まれるか、よくてせいぜいジャンクフードを貪りながらテレビをぼーっと眺めるか、あり余るエネルギーを歪んだかたちで子どもに注ぐことで未来に毒親と呼ばれるか、彼女たちに他に何ができただろう。

 この通りの人物類型をほぼそのままに体現する国民的キャラクターの存在がただちに連想されよう。本書にも度々ご登場あそばされるミセス・ルート16、春日部在住の主婦、野原みさえさんその人である。外出といえば専らマイカーのオッサン・アンジェリーナ、ストレスの反映か、はたまた単に技術の拙劣か、粗い運転の結果、傷が絶えることのない。彼女の周囲には、例えば『ドラえもん』におけるジャイアンスネ夫のママ、『サザエさん』における花沢さんの父ちゃんのような印象的な保護者の影はまるで見えてこない、つまり、通り一遍の空々しいキャハハ笑いを越えて、しょうもない愚痴をこぼし合うママ友のひとりも彼女にはおそらくいない。うだつの上がらない夫ひろしを日々金切り声でがなり散らす、みさえの日常におとなとの間に交わされるコミュニケーションといえばそのくらいしかない。そんな母の姿にさらされて出来上がるべくして出来上がったのが、幼稚園児にして既にアダルト・チルドレン丸出しの、あの息子である。

 この崩壊家族を誰が作った? 「道」が作った。クルマが作った。

 

クレヨンしんちゃん』のマンガ連載が開始されたのは1990年のこと、現在とは丸ごと一世代分の時が流れた計算になる。なるほど確かに、16号線の風景もアップデートされてはいる、ただしそれは専ら、失われた30年、デフレ化の反映として。

 バブル期にこの道路沿いに早すぎた郊外型ショッピング・モール展開に打って出たそごうが経営破綻を迎えたのがあまりに象徴的、今やこのロードサイドの主役はアウトレットによって見事に取って代わられた。奇しくも、中古ビジネスの風雲児ブックオフもこの国道沿い、相模原に端を発する。

 さて、郊外化と軌を一にして広がっていった輸入概念としての超大型総合施設が、ゼロ成長を誘発したでもない本国アメリカでどうなったか。人口の空洞化に重ねてネットの普及にとどめをさされ、次から次へと廃墟となった。『ドーン・オブ・ザ・デッド』の舞台にふさわしい最期を迎えた。

 中央フリーウェイを駆け抜ける車窓から綴ることのできる光景が競馬場とビール工場しかないように、「地形」が担保してくれる「山と谷と湿原と水辺」なんてものは、クルマに揺られる彼らの肉眼にはモブ背景の書き割り以外の何かとしては決して映ることがない。彼らはそれをスマホの液晶越しにようやく発見し、そして量産型の「コト」とやらをコピペ消費していく。カーナビとグーグルとSNSの導きなくしては、彼らは自分たちの行き先を決めることすらできない。

 右肩上がりの夢破れ、世代交代を起こせぬ末にいたずらに朽ちていくことを余儀なくされたニュータウン限界集落とは似て非なる姿を呈する。そもそも「道」でしかない国道16号線なんてはじまってすらいない、はじまりようもない、イエスタデイ・ワンスモアと歌うことすらできない。それが、すべて「地形」を参照することなど能わないカー・クラックス・クランの宿命だ。

 

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