花に亡霊

 

 若月ローコは名探偵に憧れているのだ。

 不可思議な謎、怪人と呼ぶにふさわしい犯罪者、明晰な頭脳と行動でそうしたものと渡り合い、活躍する物語の主役である。夢想としてさえ描くものも少ないような希望を、しかし聞いたときから今の今まで高橋はバカにすることができないでいた。

 理由は単純だった。似たような希望を彼も持っていたからだ。

 つまり憧れの対象がいて、そうなるための布石を打とうとしていたのである。具体的には、高校在学中に必ず達成すると決めた目標があるのだった。

 最低でもひとり、人を殺すという目標が。

 

 高校県大会ボクシング階級別2位など世を忍ぶ仮の姿、その男、高橋和也が自らに課した殺人というミッションには、それに先立つ「憧れの対象」があった。その名を佐藤誠という。

「駐車場の入口に路上駐車されて迷惑だったから、床屋でいつも話しかけられ相手をするのが面倒だったから、行きつけのフードチェーン店のメニューを変えようとしていたから」、ただその程度の「普通なら殺人という行動にいたらない」理由で佐藤が重ねた犯行の数は80を超える。死体の始末までをあまりに手際よくこなしたがために、その凶行は出頭をもってはじめて知られるところとなった。

 高橋は思う、「現代社会で彼ほど自由な人間はいないのではないか」と、そして願う、彼も同じような自由の境地を味わいたい、と。奇しくも高橋が住まう自治体に佐藤の通った高校はあった。当然に、彼はその進路をなぞる。

 

 対して名探偵を志す若月浪子にも「憧れの対象」があった。その名を月島凪という。

「両手に何も持ってなくてさ。それでも頭の回転だけで目の前にあった謎を解いて、ありようとしてそれがごく自然だったんだ。格好良かったよ」。

 風の噂で聞くところでは、用心棒の藍川慎司を従えて佐藤の犯行を暴き、自首へと追い詰めたのも、一介の民間人にすぎない月島だったという。

 

 遡ること数ヵ月前、高橋はクラスメイトから気になる噂を吹き込まれる。日課ロードワークの折り返し地点に立つ廃校舎、俗称死神吏塚に亡霊が出る、という。

 高橋が気になったのは、亡霊そのものの正体よりも、近辺に民家もなくランニング中でも人っ子ひとり見当たらないその周囲でいったい誰がそれを眼にしたというのか、ましてやそれを広めたというのか、その目撃者の正体についてだった。

 ところがその日に限っては、外から校舎に探りを入れる人影があった。華奢なシルエットにまとうのは、高橋の通う高校の女子制服。唐突に声をかけてきたその彼女こそが、若月浪子だった。

 彼の素性を予め知っていた彼女が気になっていたのも、やはりその目撃者の謎だった。廃校としては過剰なまでに厳重なセキュリティを張り巡らせたこの建物の内部に、どのようにして潜り込むことができたのか、延いては亡霊の目撃者になれたのだろうか、と。

 そうして彼女の謎解きゲームに巻き込まれていった彼は、その最中にふと気づく。死神吏塚ほどに高橋の悲願をかなえるにふさわしい場所は他にない、と。そしてそのターゲットとして、若月ほどにふさわしい人物は他にない、と。

 

 かつてその少女には夢があった。

「ピアニストになる、バレリーナになる、ソフトボール選手に、マラソン選手に、女優に、漫画家に、もっともっと色々なものに」。

 その名に反してツキナミな小学生でありたくなかった少女は、次から次へと目についた高望みの夢を謳ってはあっさりと投げ出し、いつしかウソツキナミとあだ名されるようになった。

 そんな少女、若月浪子はいつしか名探偵を志望するようになった。どうせすぐに飽きる、そんな傍の見立てをよそに、高校生になってなお、彼女はその動機を保ち続けていられた。それまでとは違う点があった、その名探偵という像には、月島凪という具体的な「憧れの対象」があった。

 何者かでありたい、でも何者でもあれない、そう煩悶するジュヴナイルが、何者かの影を真似ることで、はじめて何者かへとなるための手がかりを掴む。

「廃校吏塚の亡霊は、吏塚高校が死神吏塚であり続けて欲しいと願った誰かの幻想であって、芯になる実体はきっとないんだ」。

 それは例えば吏塚に月島凪を代入しても同じこと、若月が都市伝説的な断章から思い描いた月島凪の像にはあるいは「実体」なんてないのかもしれない、しかしその「亡霊」は実際に「願った誰か」を、つまり若月を「実体」へと押し上げた。何者でもなかった若月を何者かへと近づけた。

 高橋にしても同様だった。ボクシングを始めた動機は、少しでも殺人を効率的に済ませるための肉体作りという程度のものでしかなかった。弱小高校に専門的な指導を行える者などいない、トレーニング器具すらも満足に揃わない、校外でジムに通ったわけでもない、しかし佐藤誠の「亡霊」は高橋を日々の鍛錬へと駆り立てた。確たる目標を持った者に固有の対象への没入が、何者でもなかったはずの彼を県屈指の強豪ボクサーという何者かへと押し上げた。

 結果より過程、たとえ最終到達点をまるで異にすれども、「亡霊」を媒介することで、継承することで、彼らははじめて誰かになれた。

 それが「自由」だ。

 

 人は誰にでもなれる、つまり、誰かにしかなれない。

 それが「自由」だ。

 

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