翼をください

 

 楽しい、嬉しい、気分がいい――。

 動物たちがそう感じる環境をつくるためには、彼らの気持ちや本音を理解しなければなりません。もちろん言葉で伝えてくれるわけではないので、人間は使えるかぎりの能力と感覚を総動員して動物たちによりそいます。そこでは鋭い観察力や豊かな想像力、深い感受性、失敗を恐れない勇気と行動力が求められます。こうして数々のプロセスを経て、ようやく動物たちの本音や気持ちがわかってくるのです。

 しかし動物に向き合っているだけでは、物事は動きません。動物の気持ちを反映した施設づくりや展示方法を実現させるためには、動物園という組織のなかで多くの人間を説得する必要があります。運営や経営に関わる問題をクリアすることも大切で、そこを訪れる来園者の満足につながることもはずせないポイントになります。

 つまり魅力的な動物園をつくることは、動物の世界と人間の世界をつなぐ、大胆にして緻密な翻訳作業といえるのです。

“翻訳家”でる主人公の職業は飼育員です。彼らは、動物たちとどのようにつきあい、その想いを理解するのでしょう? それを人間の言葉に置き換え、組織を動かすことによって、どのように動物たちの幸せを追求していったのでしょうか?

 これから始まるのは、誰もが知る場所でおこっている、今まで誰も知らなかった本当の話。

 

 その“翻訳家”に課されたミッションは、「新しい施設の完成に合わせて、群れで生活するチンパンジーの活気あふれる姿を来園者に公開することだった」。

 プロジェクトが発足した段階で、その動物園で飼育されていたこの「霊長類ヒト科チンパンジー属」は全部で3人。そこに新たに3名のメンバーを加えることが決まる。ところがその選考は難航する。この絶滅危惧種を海外から輸入するルートは、ワシントン条約により既に閉ざされている。国内での繁殖に頼ろうにも、引く手あまたのこの人気者を他の動物園もそうそう手放そうとはしない。

 その中で辛うじての調達を可能にする隘路が、はぐれ者を寄せ集めてくることだった。彼らのそうしたメンタリティは、「実験動物やタレント動物として暮らしたことによって、チンパンジーの世界に必要なコミュニケーション能力が育たなかった」という、専ら環境に起因する。

 そうして何とか集った3人はすべて元タレント動物。ある者は「自分のことを人間だと思っているふしがある」。ある者は、ショーの最中に人間でいうPTSDを経験した、「超マイペースでホンワカした“不思議ちゃん”」。そしてある者は、「育てない母親」。

 そう聞けば、読者は思わず期待したくなる、熱血先生が不良生徒を更生させる、あの学園ドラマの動物園バージョンを。培われた「環境エンリッチメント」を武器に、そんな奇跡をたぐり寄せる愛と感動の物語が必ずやここに展開されるのではなかろうか、と。

 

 そんな期待はもろくも裏切られる。

 不幸にも、ボスの一粒種のお世継ぎは、鈍臭くて間の抜けた、典型的ないじめられキャラだった。そんな彼が不承不承チンパンジーの中に放り込まれた自称「人間」のフラストレーションの的になるのに、そう時間はかからなかった。そして決定的な事件が起きる。「顔はやめなよ、ボディ、ボディ」と言ったとか、言わなかったとか、いずれにせよ御曹司がリンチにさらされた。これではもはや群れを維持できない。

 強制的にシャットダウン。

 いじめっ子が追放されて、森にはひとまずの平和が戻った、いや、単に活気が失われただけだった。

 

 そんな中、「育てない母親」が受胎する。育児放棄にさらされた子どもは、ほとんどの場合において、群れの掟への不適合を来し、やがてつまはじきにされる。

“翻訳家”は忸怩たる思いに葛藤する。そのレッテルは、彼女自身の責任ではない、単に「子育てをしないのは、その方法がわからないから」にすぎない。「そのチャンスを奪ったのは、いうまでもなく我々人間なのだ」。art of lovingを知らなければ――art of lovingを教えてやればいい。

“翻訳家”が試みたのは、ぬいぐるみでのトレーニングだった。いかにも親密に胸に抱く様子を一通り見せた後で、妊婦に渡して同じようにするよう促す。ところが、彼女は満足に受け取ろうとすらしない。餌という報酬に対して少しばかりのリアクトが示されはするものの、手応えが得られぬままいたずらに時間だけが過ぎていき、ついに出産を迎える。

 だが案の定、母性本能とやらが立ち上がる様子はない。「無関心ではないようだが、どちらかといえば異物への好奇心と恐怖心が混ざった様子で、赤ん坊に手をのばす気配はなかった」。

 人工哺育を決断した“翻訳家”は、それでもなお、「育てない母親」を諦めることができなかった。

 そうして3週間ほどが経過したある日のこと、いつものように彼女に赤子を近づけてみた。すると、「絶対にあり得ない。そう思っていたことが突然、現実になった」。

 子どもを受け取ると「胸に抱えながら、ワラやタオルを自分のまわりに集めて円形に整えた。これは母親と子どものための巣」だった。

 

 さらにミラクルは続く。

 今度は“不思議ちゃん”の番だった。彼女もまた、「母親に育てられた経験がなく、仲間が子育てをする様子も見ないまま成長している」。従って、「育てない母親」になる公算は極めて高い。

 しかしその心配は杞憂だった。“翻訳家”は思う、かつて「育てない母親」だった彼女のインフルーエンスに違いない、と。

 障壁も立ちふさがった、というのも、新生児は未熟児だった。ところが。哺育器の中の我が子を格子越しに見守ることしかできない10カ月にもわたったその日々にも、在りし日の“不思議ちゃん”は耐え切った。

 

 子はかすがい。

 新たな世代が「チンパンジーの森」の風景を一変させた。元気を持て余す2人の子どもにあおられるように、群れ全体がたちまち生気を取り戻した。

 人工哺育を経ながらも見事な社会を形成したことで一躍脚光を集めるところとなった“翻訳家”は、それでも“翻訳”せずにはいられない。

「こんなに懐が深くて寛容な人、めったにいませんよ!」

 すべてはボスの手柄なのだ、と。

 幼くして実験動物として日本に連れてこられたボスは、研究室内で与えられた「環境エンリッチメント」によって「懐が深くて寛容な」人格を培われた。そして、その経験を次の世代に向けて引き渡すことで、ヴァイタリティ漲るこの群れは生まれた。そのポジティヴなサイクルが、“不思議ちゃん”を変えた、「育てない母親」を変えた。

「たとえ大人になってもサポートや環境が整えば、……チンパンジー本来の幸せをつかむこともできるのだ」。

 

 すべてこの世の愛なんて、生まれるのでなく作られる。

 

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