スーパーキノコ

 

 この本のタイトルは当初、『きのこの発見』にするはずだった。人類学者である私のきのこの世界への旅と、旅の途中で出会ったきのことその愛好家への驚嘆を綴った本に。目の前が真っ暗だったのが、菌類学に関心を持つことで、生きる喜びと意義を再び見出せるようになった。夫が不慮の死を遂げた悲しみから私を救い出してくれたのが、きのこへの関心ときのこの生える道だったことは疑いようもない。原稿を書き進めるなかで、私は、夫について一、二文、どこかに入れようと考えるようになった。序文で触れようか? 私はそこで彼について書きはじめ、それが本書の二章になった(「二番目によき死」)。その瞬間、本の構想が一変した。筆を進めるのがとりわけ楽しかったのは、きのこの世界の発見と悲しみの砂漠の旅との関連性の下りだ。そのため本書では、きのこの世界という外界への旅と、悲しみの風景という内面への旅が並行して進む。

 

「理想的な最期でした」。

 電話越しの医師は未亡人に向けてそう告げた。

 数ヵ月、数年にわたっての闘病というのではない。何の前兆もなく、普段通りに出勤していった職場で倒れ、そしてそのまま息を引き取る。そのことば通り、おそらく故人は、苦しむいとますらなくあの世へと引き渡された。

 言い換えれば、残される側には何のこころの準備もなかった。日々寄り添い続けた夫にして無二の親友がいなくなる。誰しもが迎えるその運命を受容した者からのメッセージのひとつも聴くことのできぬまま、パートナーがいなくなる。こんなときでも「ふざけたり、冗談を言ったりする名人」の彼さえいれば、「笑わせてくれた」かもしれない、その彼がもういない。苦境にあっても「自分のよい面を引き出して」くれた彼さえいれば、「自分を好きでいられ」たかもしれない、その彼がもういない。

「形ある、強固な梁のように思えていた全てが、ふんわりとしたしゃぼん玉となって飛んでいき、視界から消えた。私は軽いピンポン玉になり、広い海に投げ捨てられ、高い波に流され、あちこちを漂うのだ。悲しみは嵐の吹く、移ろいやすい海のよう。そこには何の救命ブイもない。私は自分を引き裂き、引っ張ろうとする力に圧倒された」。

 そんな筆者をきのこが救う。

 もしかしたらきのこでもなくてもよかったのかもしれない、いや、きのこだったからこそ可能だった。

 

 何の張りもない日常を送る彼女が漠然と参加した、初心者向けのきのこ講座。たちまち彼女を魅了したのが「きのこの世界に階級がないところだった」。

 例えばこれが近所の喫茶店やサークル活動ならば、否応なしに周囲は一様に彼女が夫に旅立たれたことを知ってしまっている。身バレ顔バレし切った情報空間の中では、彼女が喪失感を免れることはかなわなかっただろう。会う度に「元気?」と訊かれるのも苦痛で、かといって別の話をされるのも、「私の苦しみなどどうでもいいんだ、と感じたことも実際にあった」。濃密に過ぎる人間関係がはらまずにはいない政治性は、実は何者をも苦しめこそすれ救わない。

 ところが、きのこの世界は違った、「毎回、きのこの話ばかりで、宗教や政治についての世間話が入り込む余地はない」、つまり家族のことを詮索されることもない。「しばらく一緒に時を過ごした後でさえ、きのこ愛好家がどんな市民生活を送っているかは知りえない」。

 アノニマスな存在でいられることが、にもかかわらず生じるその地を這うようなネットワークが、彼女を癒した。

 社会性と社交性は常に反比例する。

 

 この程度の条件を満たすソサエティならば、他にも数多あるかもしれない。

 きのこにあって他にない特異性があるとすれば、どこにでも生えているといえば生えている、その点にあった。ごくありふれたその光景が、知識というレンズを通すことでまるで別の映り方をする。パートナーとの日々では知り得なかった世界へと自らを引き渡す。通過儀礼チェンジリングがきのこを介して筆者に起きる、それは決してマジック・マッシュルームのトリップの暗喩でもなく、ましてや男性器の婉曲表現でもなく、毒きのこを呷る臨死体験のほのめかしでもなく。

「私がどうしてきのこに夢中になったか? 初心者講座の先生に付いて私が初めてきのこ狩りに行った時に起きた出来事が、この問いの答えになるかもしれない。森に入った瞬間、白いドクツルタケが八、九本、群生しているのが見えた。それらのきのこは無垢で罪がなさそうだった。それでも毒きのこを見て、心が凍った。得たばかりの知識を、こんなにすぐ役立てられるなんて、信じられなかった。……マスターしたんだという感慨が、体を突き抜けた」。

 ニューヨークのあのセントラル・パークですらも、見る人が見れば絶好のきのこ狩りスポットに変わる。いや、地面に視線を向けさえすれば存在そのものは誰だって感知できるかもしれない、しかし知識がなければそれを採食しようとは思わない。芝生の間から顔をのぞかせるのはナラタケモドキにマメグンバイナズナ――学会は既にこの場所で400種類を確認しているという。

 

 そしてきのこは庭にすらも自生する。

 

 ある朝、私は花壇から何かが顔を出しているのに気づくと、思わず二度見した。昔からよく生えてきた、ただのシャクナゲの花か確信が持てず、眼鏡を取りに小屋へ走った。トガリアミガサダケがひとつだけでなく、ふたつも生えているのを見て、私の胸がどくんと高鳴った。

 翌週はエイオルフの命日だった。エイオルフが亡くなってからというもの、時の流れはすっかり変わってしまった。結婚記念日と誕生日以外に、新たにお祝いする日ができた。その特定の日がやって来るのを私は指折り数えた。

 命日というのは、そんな日だ。頭の中でカウントダウンがはじまっていた。初めは一週間単位、次は一日単位、最終的にはエイオルフの命がついえたその瞬間までの一時間、一時間を。時計がチクタクといっていたので、気が散ってしまった。その瞬間、人生の歯車がようやく、再び回りはじめた。その年の命日、私は眼鏡をかけ、お粥を火にかける前に、花壇の方へと走り出した。エイオルフが私にサインを送っているのだろうか? 三本目のトガリアミガサダケを見た時、鳥肌が立った。

 周りの全ての存在を忘れてしまうぐらいの、至福の時だった。残されたのは私とトガリアミガサダケだけ。このトガリアミガサダケは、一週間まるまるかけて大きく生長した他のふたつより、ずっと小さかったけれど、すらっとしていて、尖っていて、いかにもトガリアミガサダケという風貌だった。他の人たちだったら、神様や他の高尚なスピリットに感謝していただろうけれど、私は空の上のエイオルフに温かな挨拶を送り、彼からの愛の印に感謝した。

 

 

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